P29より
宗教法人の税務申告
収益事業を営む宗教法人は、毎年事業年度終了後2ヵ月以内に、確定申告書を所轄の税務署長へ提出しなければならない。
宗教活動のほか、駐車場運営や不動産貸付、物品販売などの「収益事業」を行っていれば、税務署に申告書を出さなければならない。
その確定申告書には、収益事業のかかる賃借対照表および損益計算書だけでなく、収益事業外の全体の貸借対照表および戦役計算書も提出しなければならない。
裏を返せば、
収益事業を行っていない宗教法人には、その必要はない。
収益事業を行っていない宗教法人は、その事業年度の収支計算書を、原則として、事業年度終了の日から4ヶ月以内に所轄の税務署長に提出しなければならない。
が、
年間収入8000万円以下の小規模な宗教法人などについては、収支計算書の提出をしなくてもいいことになっている。
しかも、ここでいう8000万円の収入額とは、事業年度ごとに計算した基本財産などの運用益、開披、寄付金、事業収入などの収入の合計額によるものとされ、土地建物などの資産の売却による臨時的に発生する収入は8000万円の判定に含めないこととされている。
つまり、
不動産売却以外の年間収入が8000万円を超えなければ、申告書を出す必要はないのだ。
ほとんどの宗教法人は、この8000万円ルールに守られ、申告も収支計算書の提出も不要とされている。
2018年9月25日火曜日
投稿日 2018年9月25日火曜日
更新日
2018年7月12日木曜日
投稿日 2018年7月12日木曜日
更新日
読みかじり - AIで代替できない教養 リベラルアーツ -ダイヤモンド(12MAY18)より
P48より
リベラルアーツとは何か
「知識」ではなく「学ぶ姿勢」
リベラルアーツとは、WHAT(何を)ではなく
HOW(どうやって)。
すなわち、物事の本質を批判的に考える力と、それを表現する力のこと
LIBERAL(自由)+ARTS(技)= 人間を自由にする技のこと
P50
世界には大きく4つの文明が存在している。
ヨーロッパ・キリスト文明、イスラム文明、ヒンドゥー文明、中国・儒教文明だ。
これらは宗教を土台に形成されており、4大文明のお総人口は約63億人にも達する。
日本は、この4つの文明に属さない少数派だ。
文明の基礎になっている宗教は二つに分かれる。
一神教と多神教だ。
ちなみに
一神教であるユダヤ教、キリスト教、イスラム教は、呼び方こそ違うものの、同じ一つの神を信じている。
一神教と多神教の最大の違いは、神と人間の関係である。
一神教では、神が主人で、罪のある人間は僕(しもべ)。
対する多神教では、良い神/悪い神を区別するなど神を相対化し、人間を中心に置いて考える。
・ヨーロッパ・キリスト教文明は、「全ての出来事は神の意志によって起こっている」という考え方を根底に、歴史を重ね、個人主義・資本主義を生み出すに至った。
・イスラム文明は自分たちの信仰が至上だとする一方、同じ一神教のユダヤ教やキリスト教には寛容だ。
・インドぅー文明の基本は、カースト制。前近代的で差別的な制度に見えるが、それぞれのカーストが職業を割り当て、人々の生存と社会の安定に寄与している。
・中国・儒教文明は、官僚制の政府が政治を行う。能力主義・抜擢人事が原則であり、現代の中国共産党もそれに倣っている。
週刊ダイヤモンド 2018年 5/12号 [雑誌] (AI時代を生き抜く プログラミング&リベラルアーツ) 雑誌 – 2018/5/7
http://dw.diamond.ne.jp/articles/-/23380
【5時間目】
リベラルアーツとは何か
「知識」ではなく「学ぶ姿勢」
リベラルアーツとは、WHAT(何を)ではなく
HOW(どうやって)。
すなわち、物事の本質を批判的に考える力と、それを表現する力のこと
LIBERAL(自由)+ARTS(技)= 人間を自由にする技のこと
P50
世界には大きく4つの文明が存在している。
ヨーロッパ・キリスト文明、イスラム文明、ヒンドゥー文明、中国・儒教文明だ。
これらは宗教を土台に形成されており、4大文明のお総人口は約63億人にも達する。
日本は、この4つの文明に属さない少数派だ。
文明の基礎になっている宗教は二つに分かれる。
一神教と多神教だ。
ちなみに
一神教であるユダヤ教、キリスト教、イスラム教は、呼び方こそ違うものの、同じ一つの神を信じている。
一神教と多神教の最大の違いは、神と人間の関係である。
一神教では、神が主人で、罪のある人間は僕(しもべ)。
対する多神教では、良い神/悪い神を区別するなど神を相対化し、人間を中心に置いて考える。
・ヨーロッパ・キリスト教文明は、「全ての出来事は神の意志によって起こっている」という考え方を根底に、歴史を重ね、個人主義・資本主義を生み出すに至った。
・イスラム文明は自分たちの信仰が至上だとする一方、同じ一神教のユダヤ教やキリスト教には寛容だ。
・インドぅー文明の基本は、カースト制。前近代的で差別的な制度に見えるが、それぞれのカーストが職業を割り当て、人々の生存と社会の安定に寄与している。
・中国・儒教文明は、官僚制の政府が政治を行う。能力主義・抜擢人事が原則であり、現代の中国共産党もそれに倣っている。
週刊ダイヤモンド 2018年 5/12号 [雑誌] (AI時代を生き抜く プログラミング&リベラルアーツ) 雑誌 – 2018/5/7
http://dw.diamond.ne.jp/articles/-/23380
【5時間目】
リベラルアーツで読み解く時事問題
宗教から見たトランプ現象の正体
森本あんり(国際基督教大学学務副学長)
繰り返される過激な政策や言動──。トランプ米大統領の暴走が止まらない。なぜ米国民は、トランプのような人物を支持するのだろうか。背景には、米国の歴史的成り立ちと、特有の宗教観がある。
2017年12月26日火曜日
投稿日 2017年12月26日火曜日
更新日
読みかじり - フリーメイソン 秘密結社の社会学 (小学館新書) 新書 – 2017/8/1 橋爪 大三郎
キリスト教から分かりやすく説明されている!
p20
理神論とは
「理神論」は、英語でDeism。
めったに聞かない言葉で、キリスト教に比べてもはるかになじみがない。
けれども、
この理神論こそ、近代ヨーロッパ文明を理解するキモ。
伝統的なキリスト教の信仰と自然科学が両立する接着剤。
そして、
フリーメイソンが信奉している立場なのだ。
理神論は徹底した、合理主義の一種で、世界を次のように見る。
①神(GOD)が、この世界を、創造した。
②神(GOD)が、この世界を、支配している。
③神(GOD)が、人間に、理性(reason)を与えた。
④人間は、理性を通して、神(GOD)を理解できる。
p24
神の主権
この世界(自然)を、自然法則が支配しているのか。
神は、天地を創造したあと、この世界から外に出てしまった。
神を見ることはできない。
それなら、もしかしたら、神はいないのではないか?
この世界(自然)が、自然法則に支配されているのは確かだけど、神がいる証拠はどこにもない。じゃあ、神はいなくてこの世界(モノ)があるだけではないか。
と考えるのが、唯物論者である。
でも、これだと、キリスト教の信仰を捨ててしまうことになる。
そこで理神論は、自然法則が万能であることを認めつつ、信仰に踏みとどまろうとする。
神はいる、たしかに。神は、天地を創造し終わって、この世界の外に出て行ったが、そのあとでも、この世界を支配し続けている。
この世界で何が起きているか、すべてモニターし(全知)、必要ならいつでも介入して、自然法則を停止し、思い通りの出来事を起こすことができる。(全能)
神が介入して、自然法則が停止することを、「奇蹟」という。
いつもで自然法則を停止できるのなら、自然法則どおりに出来事が起こるのも、神の意志である。
すなわち、この世界のすべての出来事は、ひとつひとつ、神の意志によって起こる。
このように、神がこの世界を支配していることを「神の主権sovereignty」という。
理神論は、神の主権を認める立場。自然法則の背後に神の意志を認める立場だ。
p30
理神論は、神がこの世界を支配している、と考える(神の主権)。
その神の意志を、人間は理性をつかって知り、理性によって神に近づく。
理性は、「人のわざ」ではなく、神が人に与えた「神のわざ」であうr。
神が人間を救う、という一神教の基本の構造はいちおう保たれている。
もっとも、理性によって人間が救われるのなら、イエス・キリストの出番はなくなってしまう。
一神教では、救うのは紙であり、救われるのは人間である。
人間は、自分で自分を救うことができない。
救うか救わないかは、神が自由に決める。
その神に、この人は救ってやってください、横から口添えすることを、「執りなし」という。
イエス・キリストは、人類の罪を背負って十字架で死んだので、執りなしができる。
カトリックは、イエス・キリストから執りなしの権限を委任されているので、やっぱり執りなしができるという。
プロテスタントは、いやいや、執りなしができるのは、イエス・キリストだけだという。
それに対して、理性によって神の意志を知ることができ、理性によって神の意志に適うように行動し、理性によって神と交流できるなら、イエス・キリストのとりなしは必要ないことになる。
理性は言うならば、イエス・キリストの代わりに、執りなしの役を果たしているのである。
イエス・キリストがいなくなった(必要なくなった)一神教は、ユダヤ教と似てくる。
理神論は、ユダヤ教とけっこうそっくりなのである。
イギリスも、フランスも、ドイツも、アメリカも世俗の社会を、理神論で仕切っている。
p90
オール・シーング・アイ
フリーメイソンの専売特許ではなく、キリスト教ではごくありふれた図柄である。
「詩編」33章18節、ほかにもどづいている。
18 見よ、主の目は主を恐れる者の上にあり、そのいつくしみを望む者の上にある。
プロビデンスの目(プロビデンスのめ、英: Eye of Providence)とは、目が描かれたキリスト教における意匠。 プロビデンスはキリスト教の摂理という意味で、神の全能の目(英: all-seeing eye of God)を意味する。 光背や、三位一体の象徴である三角形としばしば組み合わせて用いられる。
p118
フリーメイソンは教会ではない。
キリスト教を基盤にしながらも、教会とは性質の違った団体である。
キリスト教から派生した民間の任意団体である。
p128
ユニタリアンは、プロテスタントの一派。
キリスト教の、教会である。
ユニタリアンとフリーメイソンは何の関係もない。
p232
フリーメイソンは、ユダヤ人と関係ない。
むしろ最初は、ユダヤ人はフリーメイソンに参加できなかった。
ユダヤ人とは
人種ではない。
ユダヤ教を信じる宗教団体、ないし民族、と考えたほうがいい。
キリスト教が「旧約聖書」と呼ぶ書物は、もともとユダヤ教の聖典である。
ユダヤ教の歴史が書いてある。
これによれば、
天地を創造したの神はヤハウェ。
アブラハムに語りかけ、約束の地を目指すように告げた。
アブラハムはこれに従った。
約束の地(カナン=今のパレスチナ)に落ち着いた人々(イスラエルの民)は、そのあと、エジプトに移り住む。
エジプトで奴隷のような状態になっていたイスラエルの民を、再び約束に地へ導いたのが、預言者モーセだ。
民を率いた彼は砂漠を進み、シナイ山で、ヤハウェから契約を授かる。
十戒が有名だが、それ以外にも多くの命令が下され、モーセの律法の書としてまとめられている。
神との契約を、神への義務として守るのが、ユダヤ教徒だ。
モーセの後にも、多くの預言者が現れた。
ユダヤ教の聖典(タナハとよぶ)には、彼らの残した預言者も含まれている。
ユダヤ人差別の由来
ナザレのイエスは、ユダヤ人でユダヤ教徒。
すっかり体制化したユダヤ教徒の主流派を批判し、神に従うイスラエルの民の本来の姿を取り戻そうとした。
そこで当局に目をつけられ、死刑になった。
イエスは預言者のように行動した。
だがイエスは、ただの人間ではない。
神の遣わした救い主であり、神の子である。ーこう主張したのが、パウロである。
パウロの考えに従う人々が、キリスト教徒となった。
そしてキリスト教徒は、「救い主イエスを受け入れない、頑なな」ユダヤ教徒と、対立するようになった。
新約聖書には、パリサイ人(律法に厳格に従うユダヤ教徒のこと)への非難が、これでもかと記されている。
キリスト教徒は、ユダヤ教徒とともに祈ることができない。
キリスト教社会には、ユダヤ教への差別と偏見が、構造的に組み込まれているのである。
そのためユダヤ教徒は、ヨーロッパで、土地をもつことを禁じられていた。
農業ができない。
そこで、それ以外のさまざまな職業につくしかなかった。
そしておおむね、まもまって住んでいた。
やっぱりユダヤ教徒は頑なだなぁと、キリスト教とは思った。
P282
★アメリカ人が、さまざまなアソシエーション(ASSOCIATION 中間集団)を組織するのが得意なことである。
アソシエーションは、目的を達成するための、人為的な組織である。
誰かが組織をつくろうと言いだして、賛同者を集める。
目的が一番うまく達成できるように、組織を設計する。
アメリカは貴族の存在を認めない。
アメリカには市民(平民)しかいない。
ゆえに、軍隊は、市民の軍隊で、一兵卒から昇進して、将軍になることもできる。
将校と兵士の待遇に違いはあるが、身分ではなく、職能の違いによるものだ。
能力あるものが、ふさわしいポストに就く。
職能の組み合わせによって、組織ができている。
戦争に勝つことを目的にする組織、という原則が貫かれている。
軍隊だけではない。
株式会社、政府機関、大学、財団、病院、工場、スポーツチームなど、あらゆる組織が、アソシエーションの原則でできているのだ。
アメリカ社会のテーマは、いかに他者と出会うか。そして協力するか。
アソシエーションは、わかりやすく言うなら、
「他者と出会う仕組み」である。
近代社会の基本的な、社会技術と言っていいだろう。
http://amzn.asia/0m7LcsM
p20
理神論とは
「理神論」は、英語でDeism。
めったに聞かない言葉で、キリスト教に比べてもはるかになじみがない。
けれども、
この理神論こそ、近代ヨーロッパ文明を理解するキモ。
伝統的なキリスト教の信仰と自然科学が両立する接着剤。
そして、
フリーメイソンが信奉している立場なのだ。
理神論は徹底した、合理主義の一種で、世界を次のように見る。
①神(GOD)が、この世界を、創造した。
②神(GOD)が、この世界を、支配している。
③神(GOD)が、人間に、理性(reason)を与えた。
④人間は、理性を通して、神(GOD)を理解できる。
p24
神の主権
この世界(自然)を、自然法則が支配しているのか。
神は、天地を創造したあと、この世界から外に出てしまった。
神を見ることはできない。
それなら、もしかしたら、神はいないのではないか?
この世界(自然)が、自然法則に支配されているのは確かだけど、神がいる証拠はどこにもない。じゃあ、神はいなくてこの世界(モノ)があるだけではないか。
と考えるのが、唯物論者である。
でも、これだと、キリスト教の信仰を捨ててしまうことになる。
そこで理神論は、自然法則が万能であることを認めつつ、信仰に踏みとどまろうとする。
神はいる、たしかに。神は、天地を創造し終わって、この世界の外に出て行ったが、そのあとでも、この世界を支配し続けている。
この世界で何が起きているか、すべてモニターし(全知)、必要ならいつでも介入して、自然法則を停止し、思い通りの出来事を起こすことができる。(全能)
神が介入して、自然法則が停止することを、「奇蹟」という。
いつもで自然法則を停止できるのなら、自然法則どおりに出来事が起こるのも、神の意志である。
すなわち、この世界のすべての出来事は、ひとつひとつ、神の意志によって起こる。
このように、神がこの世界を支配していることを「神の主権sovereignty」という。
理神論は、神の主権を認める立場。自然法則の背後に神の意志を認める立場だ。
p30
理神論は、神がこの世界を支配している、と考える(神の主権)。
その神の意志を、人間は理性をつかって知り、理性によって神に近づく。
理性は、「人のわざ」ではなく、神が人に与えた「神のわざ」であうr。
神が人間を救う、という一神教の基本の構造はいちおう保たれている。
もっとも、理性によって人間が救われるのなら、イエス・キリストの出番はなくなってしまう。
一神教では、救うのは紙であり、救われるのは人間である。
人間は、自分で自分を救うことができない。
救うか救わないかは、神が自由に決める。
その神に、この人は救ってやってください、横から口添えすることを、「執りなし」という。
イエス・キリストは、人類の罪を背負って十字架で死んだので、執りなしができる。
カトリックは、イエス・キリストから執りなしの権限を委任されているので、やっぱり執りなしができるという。
プロテスタントは、いやいや、執りなしができるのは、イエス・キリストだけだという。
それに対して、理性によって神の意志を知ることができ、理性によって神の意志に適うように行動し、理性によって神と交流できるなら、イエス・キリストのとりなしは必要ないことになる。
理性は言うならば、イエス・キリストの代わりに、執りなしの役を果たしているのである。
イエス・キリストがいなくなった(必要なくなった)一神教は、ユダヤ教と似てくる。
理神論は、ユダヤ教とけっこうそっくりなのである。
イギリスも、フランスも、ドイツも、アメリカも世俗の社会を、理神論で仕切っている。
p90
オール・シーング・アイ
フリーメイソンの専売特許ではなく、キリスト教ではごくありふれた図柄である。
「詩編」33章18節、ほかにもどづいている。
18 見よ、主の目は主を恐れる者の上にあり、そのいつくしみを望む者の上にある。
プロビデンスの目(プロビデンスのめ、英: Eye of Providence)とは、目が描かれたキリスト教における意匠。 プロビデンスはキリスト教の摂理という意味で、神の全能の目(英: all-seeing eye of God)を意味する。 光背や、三位一体の象徴である三角形としばしば組み合わせて用いられる。
p118
フリーメイソンは教会ではない。
キリスト教を基盤にしながらも、教会とは性質の違った団体である。
キリスト教から派生した民間の任意団体である。
p128
ユニタリアンは、プロテスタントの一派。
キリスト教の、教会である。
ユニタリアンとフリーメイソンは何の関係もない。
p232
フリーメイソンは、ユダヤ人と関係ない。
むしろ最初は、ユダヤ人はフリーメイソンに参加できなかった。
ユダヤ人とは
人種ではない。
ユダヤ教を信じる宗教団体、ないし民族、と考えたほうがいい。
キリスト教が「旧約聖書」と呼ぶ書物は、もともとユダヤ教の聖典である。
ユダヤ教の歴史が書いてある。
これによれば、
天地を創造したの神はヤハウェ。
アブラハムに語りかけ、約束の地を目指すように告げた。
アブラハムはこれに従った。
約束の地(カナン=今のパレスチナ)に落ち着いた人々(イスラエルの民)は、そのあと、エジプトに移り住む。
エジプトで奴隷のような状態になっていたイスラエルの民を、再び約束に地へ導いたのが、預言者モーセだ。
民を率いた彼は砂漠を進み、シナイ山で、ヤハウェから契約を授かる。
十戒が有名だが、それ以外にも多くの命令が下され、モーセの律法の書としてまとめられている。
神との契約を、神への義務として守るのが、ユダヤ教徒だ。
モーセの後にも、多くの預言者が現れた。
ユダヤ教の聖典(タナハとよぶ)には、彼らの残した預言者も含まれている。
ユダヤ人差別の由来
ナザレのイエスは、ユダヤ人でユダヤ教徒。
すっかり体制化したユダヤ教徒の主流派を批判し、神に従うイスラエルの民の本来の姿を取り戻そうとした。
そこで当局に目をつけられ、死刑になった。
イエスは預言者のように行動した。
だがイエスは、ただの人間ではない。
神の遣わした救い主であり、神の子である。ーこう主張したのが、パウロである。
パウロの考えに従う人々が、キリスト教徒となった。
そしてキリスト教徒は、「救い主イエスを受け入れない、頑なな」ユダヤ教徒と、対立するようになった。
新約聖書には、パリサイ人(律法に厳格に従うユダヤ教徒のこと)への非難が、これでもかと記されている。
キリスト教徒は、ユダヤ教徒とともに祈ることができない。
キリスト教社会には、ユダヤ教への差別と偏見が、構造的に組み込まれているのである。
そのためユダヤ教徒は、ヨーロッパで、土地をもつことを禁じられていた。
農業ができない。
そこで、それ以外のさまざまな職業につくしかなかった。
そしておおむね、まもまって住んでいた。
やっぱりユダヤ教徒は頑なだなぁと、キリスト教とは思った。
P282
★アメリカ人が、さまざまなアソシエーション(ASSOCIATION 中間集団)を組織するのが得意なことである。
アソシエーションは、目的を達成するための、人為的な組織である。
誰かが組織をつくろうと言いだして、賛同者を集める。
目的が一番うまく達成できるように、組織を設計する。
アメリカは貴族の存在を認めない。
アメリカには市民(平民)しかいない。
ゆえに、軍隊は、市民の軍隊で、一兵卒から昇進して、将軍になることもできる。
将校と兵士の待遇に違いはあるが、身分ではなく、職能の違いによるものだ。
能力あるものが、ふさわしいポストに就く。
職能の組み合わせによって、組織ができている。
戦争に勝つことを目的にする組織、という原則が貫かれている。
軍隊だけではない。
株式会社、政府機関、大学、財団、病院、工場、スポーツチームなど、あらゆる組織が、アソシエーションの原則でできているのだ。
アメリカ社会のテーマは、いかに他者と出会うか。そして協力するか。
アソシエーションは、わかりやすく言うなら、
「他者と出会う仕組み」である。
近代社会の基本的な、社会技術と言っていいだろう。
http://amzn.asia/0m7LcsM
フリーメイソン 秘密結社の社会学 (小学館新書) 新書 – 2017/8/1
2017年10月26日木曜日
投稿日 2017年10月26日木曜日
更新日
読みかじり - 宣教師ザビエルと被差別民 (筑摩選書) 単行本 – 2016/12/13 沖浦 和光 (著)
p35
大航海時代の幕開け
15世紀の大航海時代
15世紀から17世紀前半にかけて、西ヨーロッパの各国は、東洋への進出を競った。
イベリア半島は紀元前1世紀から500年、ローマの支配でキリスト教とラテン語が次第に普及。
5世紀に入り、467年の西ヨーロッパの滅亡でゲルマン民族の南下
7世紀にはゴート族が半島の大部分を支配。
7世紀後半には、北アフリカからの新興イスラム勢力により、ゴート族は711年に攻め滅ぶ。
・8世紀初頭からおよそ800年にわたって、イスラム勢力がイベリア半島を占拠していた。
・1492年にアラビア人とモロ人(ムーア人)から成るイスラム勢力をキリスト教徒がイベリア半島からアフリカに追い払った。
その年のグラナダ奪回をもって、ようやくイベリア半島におけるキリスト教の支配権が確立された。
P39
イスラム勢力に包囲されていたキリスト教世界
14世紀初頭の西ヨーロッパは、経済的にも文化的にもイスラム勢力よりはるかに劣勢だった。
東の出口の地中海はオスマン・トルコに、南の出口はアラブ人に。
・つい先ほどまで世界史認識の基本的視座とされたいたヨーロッパ中心史観は、17世紀以降の近代を通過した後に形成された。
大航海時代が始まるまでは、西洋世界の動きはイスラム勢力によって完全に左右されていた。
この15世紀から16世紀にかけての時代は、西洋においては(宗教改革)の大激動期でもあった。
ローマ教皇を頂点に戴きキリスト教世界を一元的に支配してきたカトリシズムに対して、ルター派やカルヴァン派などプロテスタント各派が果敢な批判と闘争と展開していた。
ーーーーー
ザビエルの一行が上陸したころは、戦国時代の末期で、戦国大名が各地に割拠して
室町幕府の権力は完全に無力化していた。
一向一揆と、顕如、法然、親鸞の説明。。。
P216
いかにローマ・カトリック教会が世界の民衆からの収奪によって繁栄しているのか、ヴァチカンの豪奢な街並みの影にある貧しい人たちの存在。そうした人々からのなけなしのお金を集め、巨万の財を成している宗教貴族ぶりに我慢がならなかった。
ザビエルが布教して回ったのは、ハンセン病や被差別民など、その地で最底辺の暮らしを強いられている人々だった。
http://amzn.asia/6Ix4Qgr
宣教師ザビエルと被差別民 (筑摩選書) 単行本 – 2016/12/13
大航海時代の幕開け
15世紀の大航海時代
15世紀から17世紀前半にかけて、西ヨーロッパの各国は、東洋への進出を競った。
イベリア半島は紀元前1世紀から500年、ローマの支配でキリスト教とラテン語が次第に普及。
5世紀に入り、467年の西ヨーロッパの滅亡でゲルマン民族の南下
7世紀にはゴート族が半島の大部分を支配。
7世紀後半には、北アフリカからの新興イスラム勢力により、ゴート族は711年に攻め滅ぶ。
・8世紀初頭からおよそ800年にわたって、イスラム勢力がイベリア半島を占拠していた。
・1492年にアラビア人とモロ人(ムーア人)から成るイスラム勢力をキリスト教徒がイベリア半島からアフリカに追い払った。
その年のグラナダ奪回をもって、ようやくイベリア半島におけるキリスト教の支配権が確立された。
P39
イスラム勢力に包囲されていたキリスト教世界
14世紀初頭の西ヨーロッパは、経済的にも文化的にもイスラム勢力よりはるかに劣勢だった。
東の出口の地中海はオスマン・トルコに、南の出口はアラブ人に。
・つい先ほどまで世界史認識の基本的視座とされたいたヨーロッパ中心史観は、17世紀以降の近代を通過した後に形成された。
大航海時代が始まるまでは、西洋世界の動きはイスラム勢力によって完全に左右されていた。
この15世紀から16世紀にかけての時代は、西洋においては(宗教改革)の大激動期でもあった。
ローマ教皇を頂点に戴きキリスト教世界を一元的に支配してきたカトリシズムに対して、ルター派やカルヴァン派などプロテスタント各派が果敢な批判と闘争と展開していた。
ーーーーー
ザビエルの一行が上陸したころは、戦国時代の末期で、戦国大名が各地に割拠して
室町幕府の権力は完全に無力化していた。
一向一揆と、顕如、法然、親鸞の説明。。。
P216
いかにローマ・カトリック教会が世界の民衆からの収奪によって繁栄しているのか、ヴァチカンの豪奢な街並みの影にある貧しい人たちの存在。そうした人々からのなけなしのお金を集め、巨万の財を成している宗教貴族ぶりに我慢がならなかった。
ザビエルが布教して回ったのは、ハンセン病や被差別民など、その地で最底辺の暮らしを強いられている人々だった。
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宣教師ザビエルと被差別民 (筑摩選書) 単行本 – 2016/12/13
沖浦 和光 (著)
2017年7月11日火曜日
投稿日 2017年7月11日火曜日
更新日
詠みかじり - あなたは生きているだけで意味がある 単行本 – 2003/11 クリストファー リーヴ
個人的には映画、MR.NOBODYがとても気に入り、それと絡み合う感じで読書。
思想感の部分が気になったので、ほかの人が焦点を当てそうにないところを備忘録。
P72からの考えとP165の考えの整合性に欠けるように感じる。
P72より抜粋
”善を行うと嬉しい。
悪を行うと辛い。
それが私の信仰である。
1860年 エイブラハム・リンカーン”
”正しい道というものはあるのだろうか
この数年間、数えきれないほど多くの人々から
「苦難に立ち向かうときは信仰が大きな支えとなるのではないか」
と訊かれてきた。
そして、
「あなたの宗教は何か」
とも。
これには私は困ってしまう。
なぜなら、私が非常に信仰深い人間に違いないと皆が期待しているのが手に取るように分かるからだ。
実を言うと、精神性という意味合いにおいてこれからの一生をかけて追求していけるような宗教に出会ったのは、つい最近のことなのだ。
。。。
プリンストン・ディ・スクール8,9年生の必修科目で習った2年間のコースは
世界の宗教、そして現代米国文化に密接に関わる宗教史を学ぶための入門編だった。
道教、神道、仏教など、東洋の宗教における教訓についての基礎を学ぶのが楽しみだった。
生きとし生けるものすべてを神聖なものとし、樹、花、大地、水、空に神が宿るという思想が好きだった。
しかし、西洋宗教史やその教えの多くは私にとって魅力ないものに映った。
10代の初めの頃、私は長老派教会のコーラスで歌っていたのだが、賛美歌のいくつかに歌われている恐ろしいイメージに怯えさせられた。
例えば「God the Father Almighty」(父なる全能の神)
「Onward Christian Soldiers Marching as to War」(いざ戦いに臨まんとするキリストの兵士たち)
「The Fateful Lightning of His Terrible Swift Sword」(神の恐るべき迅速なる剣が死をもたらす電光)などだ。
おそらくこの”神”たちは私たちー”彼”の子供たちーを愛しているのだろうが、私たちを規律に縛り付けるために脅迫的な戦略を使っているように私は感じたのだ。
もし私たちが貞淑で公正であると”彼”の目に映れば、私たちは安全なのである。
”彼”はわたしたちを守り、悪しきものから救い出してくれるだろう。
しかし、戒律を犯して”彼”の期待を裏切ったりしたならば、私たちはそれなりの罰を受けることになる。
この力学は私と父の関係に非常に似ていた。
だとすれば、わざわざ同じことを私が進んで選ぶ必要があるだろうか。
日曜学校の礼拝は叔父を喜ばせるためでもあり、自分の将来展望を広げるためであったが、多くを学べなかった。
学校での宗教に関する勉強は、権力に頭突きを食らわしたい育ち盛りの13歳の男の子としての願望もあいまって、組織化された宗教から私を徐々に離れさせていった。
授業で学んだのは、不寛容、抑圧、迫害、そして、貧困を強いられて教育を受けることのできない敬虔な信者たちを犠牲にした教権制度によって蓄積された莫大な富についてだった。
宗教が戦争を起こし、中世における十字軍の活躍が、実際はキリストの名の下に正当化された帝国主義による制服だったことを知ったのだ。
新世界を目指した16世紀の探検家や伝道師たちが、母国のために可能な限りの陸地を占有すること、そして”野蛮人”をキリスト教信仰へと改宗させることが自らに課せられた職務と信じていたことについて、書物を通じて知った。
生物学のクラスでは家族計画や受胎調節について学んだが、宗教の授業で現代のカトリック教義について学習したときには、ひどく理解に苦しんだものだ。
私は教師を質問攻めにした。結婚したことのない司祭が、どうして結婚についての相談に答えられるのか。最悪の状態で暮らさざるを得ない大家族がこれほど多いのは、後進国の貧しいカトリック信者が受胎調整を許されていないからではないのか。私たちが大人になる頃には、人口過剰や世界的飢餓が大きいな問題となっているのではないか。
人格形成期に受けた学校と教会の影響に加えて、父の無神論は私にとって重要な要素となった。宗教の基礎について無縁な環境で育ったのみならず、私には精神性と呼ばれるもののかけらすらなかった。
私は”今この瞬間”のこと、野心や自信といったものだけに囚われていた。そのまま大学に進み、その後は演技のキャリアを目指してニューヨークに移り住んだが、ついぞ”大きな疑問”に対する答えを探し求めはしなかった。なぜ私たちは、ここにいるのか。目的を持っているのだろうか。生きていくための正しい道というものがあるのだろうか。”
P164
ここでは反対の内容が。。。
私は自分が一神教信者になりつつあるとは考えもしなかった。
40代後半になって、信仰と組織的宗教にいつのまにか心が向かっていたのだ。。
ーーーー
一神教・普遍救済主義の何がいいのかというと、その扉を開いた人々が罪を犯したと仮定されていないからだ。、と私は話した。
思想感の部分が気になったので、ほかの人が焦点を当てそうにないところを備忘録。
P72からの考えとP165の考えの整合性に欠けるように感じる。
P72より抜粋
”善を行うと嬉しい。
悪を行うと辛い。
それが私の信仰である。
1860年 エイブラハム・リンカーン”
”正しい道というものはあるのだろうか
この数年間、数えきれないほど多くの人々から
「苦難に立ち向かうときは信仰が大きな支えとなるのではないか」
と訊かれてきた。
そして、
「あなたの宗教は何か」
とも。
これには私は困ってしまう。
なぜなら、私が非常に信仰深い人間に違いないと皆が期待しているのが手に取るように分かるからだ。
実を言うと、精神性という意味合いにおいてこれからの一生をかけて追求していけるような宗教に出会ったのは、つい最近のことなのだ。
。。。
プリンストン・ディ・スクール8,9年生の必修科目で習った2年間のコースは
世界の宗教、そして現代米国文化に密接に関わる宗教史を学ぶための入門編だった。
道教、神道、仏教など、東洋の宗教における教訓についての基礎を学ぶのが楽しみだった。
生きとし生けるものすべてを神聖なものとし、樹、花、大地、水、空に神が宿るという思想が好きだった。
しかし、西洋宗教史やその教えの多くは私にとって魅力ないものに映った。
10代の初めの頃、私は長老派教会のコーラスで歌っていたのだが、賛美歌のいくつかに歌われている恐ろしいイメージに怯えさせられた。
例えば「God the Father Almighty」(父なる全能の神)
「Onward Christian Soldiers Marching as to War」(いざ戦いに臨まんとするキリストの兵士たち)
「The Fateful Lightning of His Terrible Swift Sword」(神の恐るべき迅速なる剣が死をもたらす電光)などだ。
おそらくこの”神”たちは私たちー”彼”の子供たちーを愛しているのだろうが、私たちを規律に縛り付けるために脅迫的な戦略を使っているように私は感じたのだ。
もし私たちが貞淑で公正であると”彼”の目に映れば、私たちは安全なのである。
”彼”はわたしたちを守り、悪しきものから救い出してくれるだろう。
しかし、戒律を犯して”彼”の期待を裏切ったりしたならば、私たちはそれなりの罰を受けることになる。
この力学は私と父の関係に非常に似ていた。
だとすれば、わざわざ同じことを私が進んで選ぶ必要があるだろうか。
日曜学校の礼拝は叔父を喜ばせるためでもあり、自分の将来展望を広げるためであったが、多くを学べなかった。
学校での宗教に関する勉強は、権力に頭突きを食らわしたい育ち盛りの13歳の男の子としての願望もあいまって、組織化された宗教から私を徐々に離れさせていった。
授業で学んだのは、不寛容、抑圧、迫害、そして、貧困を強いられて教育を受けることのできない敬虔な信者たちを犠牲にした教権制度によって蓄積された莫大な富についてだった。
宗教が戦争を起こし、中世における十字軍の活躍が、実際はキリストの名の下に正当化された帝国主義による制服だったことを知ったのだ。
新世界を目指した16世紀の探検家や伝道師たちが、母国のために可能な限りの陸地を占有すること、そして”野蛮人”をキリスト教信仰へと改宗させることが自らに課せられた職務と信じていたことについて、書物を通じて知った。
生物学のクラスでは家族計画や受胎調節について学んだが、宗教の授業で現代のカトリック教義について学習したときには、ひどく理解に苦しんだものだ。
私は教師を質問攻めにした。結婚したことのない司祭が、どうして結婚についての相談に答えられるのか。最悪の状態で暮らさざるを得ない大家族がこれほど多いのは、後進国の貧しいカトリック信者が受胎調整を許されていないからではないのか。私たちが大人になる頃には、人口過剰や世界的飢餓が大きいな問題となっているのではないか。
人格形成期に受けた学校と教会の影響に加えて、父の無神論は私にとって重要な要素となった。宗教の基礎について無縁な環境で育ったのみならず、私には精神性と呼ばれるもののかけらすらなかった。
私は”今この瞬間”のこと、野心や自信といったものだけに囚われていた。そのまま大学に進み、その後は演技のキャリアを目指してニューヨークに移り住んだが、ついぞ”大きな疑問”に対する答えを探し求めはしなかった。なぜ私たちは、ここにいるのか。目的を持っているのだろうか。生きていくための正しい道というものがあるのだろうか。”
P164
ここでは反対の内容が。。。
私は自分が一神教信者になりつつあるとは考えもしなかった。
40代後半になって、信仰と組織的宗教にいつのまにか心が向かっていたのだ。。
ーーーー
一神教・普遍救済主義の何がいいのかというと、その扉を開いた人々が罪を犯したと仮定されていないからだ。、と私は話した。
あなたは生きているだけで意味がある 単行本 – 2003/11
2017年4月22日土曜日
投稿日 2017年4月22日土曜日
更新日
読みかじり - この画像を表示 アメリカ映画とキリスト教 -120年の関係史 単行本 – 2016/12/19 木谷佳楠 (著)
P179
終章より
多民族国家として共通の過去を持たないアメリカは、自然発生的に形成された社会ではなく、目的意識によって形成された人工的な社会である。
したがって、当事者であるアメリカ人にとっても、どの範囲までを「アメリカ的」とみなし、どの範囲から「非アメリカ的」であると定義するのか、その線引きは不明瞭なのである。
・・・
建国初期の頃のアメリカ人にとっての「我々」とは、「白人のアングロサクソン系プロテスタント信徒」がその範囲だった。
そして、「我々アメリカ人」を統合する宗教的価値は、キリスト教プロテスタント教会とほとんど同義であった。
そのアメリカに1800年代中頃、アイルランドやイタリアからカトリック系移民が流入してくると、プロテスタント信徒は自分たちが「真のアメリカ人」(native american)であると主張して彼らを排除したのである。
p180
そもそもユダヤ系を中心にした移民の手にうよって発展を遂げたハリウッド映画産業は、容易に「非アメリカ人」の産業として攻撃される危険性を持っていた。
p182
キリスト教福音派の人々にとって、重要な聖書の教えのひとつがイエスの「大宣教命令」の言葉である。
「私は天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなた方は行って、すべての民を私の弟子にしなさい。彼らに父と子と精霊の名によって洗礼を受け、あなたがたに命じておいたことを全て守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」(マタイ28:18-20)
そのことを実現するために圧倒的な資金力をもとにして、自分たちの宗教的価値観に基づく映画を作るようになったのである。
p183
「非アメリカ人」でる移民によって発展を遂げたハリウッド映画界は、彼らが真のアメリカ人としてアメリカ社会に受け入れられるため、そして興行収入がなければ成立しない映画としう産業の
性質上、キリスト教的価値観に基づく映画の製作を求められてきたのである。
また、そのように「手段」としてキリスト教的価値感が織り込まれてきた映画であったが、やがてキリスト教福音派の出現に伴い、次第にその「手段」が「目的」へと変容を遂げていった。
ここで注意をしなければならないのは、アメリカ独自のキリスト教的価値観の影響を強く受けた映画を、これまで日本の観客も無批判に受けいれてきたという点である。
2050年以内に終末が訪れることを、5人中2人が信じている国で作られた映画を、我々は単なる娯楽として消費し続けてきたのである。
その善し悪しは別にして、日本の観客が無自覚にアメリカ映画的価値観と同調し、アメリカ映画によって繰り返えし提示される善悪二元論や終末観、そしてアメリカンヒーローに代表されるメシア観を取り込んでいる可能性は否定できない。
http://amzn.asia/7HH8yXQ
終章より
多民族国家として共通の過去を持たないアメリカは、自然発生的に形成された社会ではなく、目的意識によって形成された人工的な社会である。
したがって、当事者であるアメリカ人にとっても、どの範囲までを「アメリカ的」とみなし、どの範囲から「非アメリカ的」であると定義するのか、その線引きは不明瞭なのである。
・・・
建国初期の頃のアメリカ人にとっての「我々」とは、「白人のアングロサクソン系プロテスタント信徒」がその範囲だった。
そして、「我々アメリカ人」を統合する宗教的価値は、キリスト教プロテスタント教会とほとんど同義であった。
そのアメリカに1800年代中頃、アイルランドやイタリアからカトリック系移民が流入してくると、プロテスタント信徒は自分たちが「真のアメリカ人」(native american)であると主張して彼らを排除したのである。
p180
そもそもユダヤ系を中心にした移民の手にうよって発展を遂げたハリウッド映画産業は、容易に「非アメリカ人」の産業として攻撃される危険性を持っていた。
p182
キリスト教福音派の人々にとって、重要な聖書の教えのひとつがイエスの「大宣教命令」の言葉である。
「私は天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなた方は行って、すべての民を私の弟子にしなさい。彼らに父と子と精霊の名によって洗礼を受け、あなたがたに命じておいたことを全て守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」(マタイ28:18-20)
そのことを実現するために圧倒的な資金力をもとにして、自分たちの宗教的価値観に基づく映画を作るようになったのである。
p183
「非アメリカ人」でる移民によって発展を遂げたハリウッド映画界は、彼らが真のアメリカ人としてアメリカ社会に受け入れられるため、そして興行収入がなければ成立しない映画としう産業の
性質上、キリスト教的価値観に基づく映画の製作を求められてきたのである。
また、そのように「手段」としてキリスト教的価値感が織り込まれてきた映画であったが、やがてキリスト教福音派の出現に伴い、次第にその「手段」が「目的」へと変容を遂げていった。
ここで注意をしなければならないのは、アメリカ独自のキリスト教的価値観の影響を強く受けた映画を、これまで日本の観客も無批判に受けいれてきたという点である。
2050年以内に終末が訪れることを、5人中2人が信じている国で作られた映画を、我々は単なる娯楽として消費し続けてきたのである。
その善し悪しは別にして、日本の観客が無自覚にアメリカ映画的価値観と同調し、アメリカ映画によって繰り返えし提示される善悪二元論や終末観、そしてアメリカンヒーローに代表されるメシア観を取り込んでいる可能性は否定できない。
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2017年4月17日月曜日
投稿日 2017年4月17日月曜日
更新日
読みかじり - 神は妄想である―宗教との決別 単行本 – 2007/5/25 リチャード・ドーキンス
分厚い本で、最後まで読めず。。。
P64
世俗主義によって建国された米国が、いまやキリスト教圏におけるもっとも宗教的な国家であるのに対して、立憲君主を首長にいただく国教会をもつ英国がもっとも宗教的でない国の一つであるというパラドックスは、これまでも指摘されてきたところだ。
それはなぜか、といつも尋ねられるがよくわからない。
思うに、、プロテスタントとカトリックが交互に主導権を握り、組織的に相手方を大量に殺すという、宗教間の暴力の戦慄すべき歴史が繰り返された後、宗教にうんざりしてしまったということはあるかもしれない。
もう一つの説としては、
アメリカが移民の国だという考察に由来するものがある。
同僚の一人が私に、ヨーロッパに見られる大規模な、いわゆる「拡大家族」の安定と安楽から切り離された移民たちは、教会を異境の地における一種の代理親族として受け入れたのではないかと指摘してくれた。
面白いアイディアでさらに研究してみる価値がある。
多くのアメリカ人が自分の地域の教会を自分のよりどころを与えるまとまりとしてみなしているのは疑いがなく、実際に教会は拡大家族と呼ぶにふさわしい属性をいくつももっているのである。
しかし、もう一つ、アメリカ人の宗教性は逆説的なことに、その憲法の世俗主義に由来するという仮説がある。
厳密には、アメリカは法的に世俗主義であり、宗教は自由企業になっている。ライバル宗教は信徒ーことに彼らがもたらすたっぷり超えた十分の一税ーをめぐって競い合い、この競争は、市場における攻撃的で強引な売り込みのありとあらゆる手管をもっておこなわれる。。。。。
p141
19世紀以来、
学術的な神学研究者たちは、
「福音書は現実世界の歴史で起こったことについての信頼できる記述ではない」という決定的な論証をおこなってきた。
すべてはイエスが死んでからずっと後になって書かれたものであり、
パウロの手紙よりも後であるが、
この手紙には、、イエスの生涯にあったとされている事実のほとんど何ひとつとして触れられていない。
すべてはその後に、多数の異なる「伝言ゲーム世代」を通じて、いずれにせよ自らの宗教的大儀を持ち、誤りを犯しがちな筆写者たちによって、何度となく繰り返し書き写されてきたものである。
・・・・・
神は妄想である―宗教との決別 単行本 – 2007/5/25
P64
世俗主義によって建国された米国が、いまやキリスト教圏におけるもっとも宗教的な国家であるのに対して、立憲君主を首長にいただく国教会をもつ英国がもっとも宗教的でない国の一つであるというパラドックスは、これまでも指摘されてきたところだ。
それはなぜか、といつも尋ねられるがよくわからない。
思うに、、プロテスタントとカトリックが交互に主導権を握り、組織的に相手方を大量に殺すという、宗教間の暴力の戦慄すべき歴史が繰り返された後、宗教にうんざりしてしまったということはあるかもしれない。
もう一つの説としては、
アメリカが移民の国だという考察に由来するものがある。
同僚の一人が私に、ヨーロッパに見られる大規模な、いわゆる「拡大家族」の安定と安楽から切り離された移民たちは、教会を異境の地における一種の代理親族として受け入れたのではないかと指摘してくれた。
面白いアイディアでさらに研究してみる価値がある。
多くのアメリカ人が自分の地域の教会を自分のよりどころを与えるまとまりとしてみなしているのは疑いがなく、実際に教会は拡大家族と呼ぶにふさわしい属性をいくつももっているのである。
しかし、もう一つ、アメリカ人の宗教性は逆説的なことに、その憲法の世俗主義に由来するという仮説がある。
厳密には、アメリカは法的に世俗主義であり、宗教は自由企業になっている。ライバル宗教は信徒ーことに彼らがもたらすたっぷり超えた十分の一税ーをめぐって競い合い、この競争は、市場における攻撃的で強引な売り込みのありとあらゆる手管をもっておこなわれる。。。。。
p141
19世紀以来、
学術的な神学研究者たちは、
「福音書は現実世界の歴史で起こったことについての信頼できる記述ではない」という決定的な論証をおこなってきた。
すべてはイエスが死んでからずっと後になって書かれたものであり、
パウロの手紙よりも後であるが、
この手紙には、、イエスの生涯にあったとされている事実のほとんど何ひとつとして触れられていない。
すべてはその後に、多数の異なる「伝言ゲーム世代」を通じて、いずれにせよ自らの宗教的大儀を持ち、誤りを犯しがちな筆写者たちによって、何度となく繰り返し書き写されてきたものである。
・・・・・
神は妄想である―宗教との決別 単行本 – 2007/5/25
2017年1月10日火曜日
投稿日 2017年1月10日火曜日
更新日
▲キリスト教にはじまる白人主義
▲民数記を実際に見てみる必要がある。。。。
▲朝鮮半島を舞台に三国干渉
P73
イエズス会の独善的な日本布教
神がモーゼに与えた神託
「聖書の「民数記」では、神の宣託を受けたモーゼが、異教徒は、「男も女も全員虐殺」することを命じている。
さらに、「男を知らない処女は、分かち合え」というのだから、恐ろしい」
それに基づいてか、白人キリスト教徒が、世界侵略をしたことは事実だ。その過程で大虐殺があったことも事実だ。
P98
異教徒は、殲滅する教え
いまから1000年前に、文明を謳歌していたイスラム世界に対する、キリスト教徒の「十字軍」は、世界史における白人キリスト教徒の大虐殺、異民族殲滅の事例とも言えよう。
P110
清教徒「マニフェスト・ディスティニー」
1992年にオックスフォード大学出版「アメリカン・ホロコースト」という本がある。
南北アメリカ原住民を、白人キリスト教徒が大虐殺したという学術研究に基づく内容
P113
鎖国はキリスト教徒の横暴を阻止するためだった。
P152
日清戦争の原因は、朝鮮半島にあった。
朝鮮半が、ロシアや支那に侵略されると、その脅威は目の前に迫る。
だから日本は、朝鮮に日本のように近代化して、しっかりとした政治力と外交力と軍事力を持って独立主権国家になって欲しかった。
⇓
ところが、
朝鮮は、清国(支那)やロシアに媚びたり、毅然と独立する状況になかった。
日清戦争という名称だが、戦場は朝鮮半島だった。
P153
日本と清国は、1895年(明治28年)3月20日に停戦。
4月17日に下関の春帆楼で講和会議に臨んだ。
日本側は首相の伊藤博文、外相の陸奥宗光が、清国側は李鴻章らが出席した。
下関条約が締結され、戦争は終結した。
内容は次の通りだった。
1.朝鮮の独立を認め、自主独立を妨げる朝鮮から清国への貢、献上、典礼などを永遠に廃止する。
2.遼東半島、台湾、澎湖諸島を日本に譲渡する。
3.清国は日本に二億両支払う。
4.清国領内で列国と同等の特権を日本に認める。
朝鮮半島については、独立を認めることが条件だった。
⇓
ところが、日清戦争での日本の勝利を、横取りしたのが、白人列強だった。
ロシアがフランス、ドイツと結託し日本に圧力を加えてきた。
1895年(明治28年)4月23日、三国の公使が日本に対し「遼東半島を清国に返した方がいい」と書簡を送ってきた、いわゆる三国干渉である。
⇓
国力の劣る日本は臥薪嘗胆で、勧告を受託する。
⇓
3年後に、三カ国は清国に対し、この代償を要求。
ロシアは旅順・大連を
ドイツは膠州湾を
フランスは広州湾を
咀嚼した。
ちなみに
イギリスは、威海衛と九龍半島を租借している。
P164
<白人が世界を侵略した500年>
P71-73引用
読みかじり 戦争犯罪国はアメリカだった! ─ 英国人ジャーナリストが明かす東京裁判70年の虚妄 単行本(ソフトカバー) – 2016/4/21 ヘンリー・S・ストークス
戦争犯罪国はアメリカだった! ─ 英国人ジャーナリストが明かす東京裁判70年の虚妄 単行本(ソフトカバー) – 2016/4/21
▲キリスト教にはじまる白人主義
▲民数記を実際に見てみる必要がある。。。。
▲朝鮮半島を舞台に三国干渉
P73
イエズス会の独善的な日本布教
神がモーゼに与えた神託
「聖書の「民数記」では、神の宣託を受けたモーゼが、異教徒は、「男も女も全員虐殺」することを命じている。
さらに、「男を知らない処女は、分かち合え」というのだから、恐ろしい」
それに基づいてか、白人キリスト教徒が、世界侵略をしたことは事実だ。その過程で大虐殺があったことも事実だ。
P98
異教徒は、殲滅する教え
いまから1000年前に、文明を謳歌していたイスラム世界に対する、キリスト教徒の「十字軍」は、世界史における白人キリスト教徒の大虐殺、異民族殲滅の事例とも言えよう。
P110
清教徒「マニフェスト・ディスティニー」
1992年にオックスフォード大学出版「アメリカン・ホロコースト」という本がある。
南北アメリカ原住民を、白人キリスト教徒が大虐殺したという学術研究に基づく内容
P113
鎖国はキリスト教徒の横暴を阻止するためだった。
P152
日清戦争の原因は、朝鮮半島にあった。
朝鮮半が、ロシアや支那に侵略されると、その脅威は目の前に迫る。
だから日本は、朝鮮に日本のように近代化して、しっかりとした政治力と外交力と軍事力を持って独立主権国家になって欲しかった。
⇓
ところが、
朝鮮は、清国(支那)やロシアに媚びたり、毅然と独立する状況になかった。
日清戦争という名称だが、戦場は朝鮮半島だった。
P153
日本と清国は、1895年(明治28年)3月20日に停戦。
4月17日に下関の春帆楼で講和会議に臨んだ。
日本側は首相の伊藤博文、外相の陸奥宗光が、清国側は李鴻章らが出席した。
下関条約が締結され、戦争は終結した。
内容は次の通りだった。
1.朝鮮の独立を認め、自主独立を妨げる朝鮮から清国への貢、献上、典礼などを永遠に廃止する。
2.遼東半島、台湾、澎湖諸島を日本に譲渡する。
3.清国は日本に二億両支払う。
4.清国領内で列国と同等の特権を日本に認める。
朝鮮半島については、独立を認めることが条件だった。
⇓
ところが、日清戦争での日本の勝利を、横取りしたのが、白人列強だった。
ロシアがフランス、ドイツと結託し日本に圧力を加えてきた。
1895年(明治28年)4月23日、三国の公使が日本に対し「遼東半島を清国に返した方がいい」と書簡を送ってきた、いわゆる三国干渉である。
⇓
国力の劣る日本は臥薪嘗胆で、勧告を受託する。
⇓
3年後に、三カ国は清国に対し、この代償を要求。
ロシアは旅順・大連を
ドイツは膠州湾を
フランスは広州湾を
咀嚼した。
ちなみに
イギリスは、威海衛と九龍半島を租借している。
P164
<白人が世界を侵略した500年>
P71-73引用
2015年12月24日木曜日
投稿日 2015年12月24日木曜日
更新日
読みかじり - 歴史と宗教から、「パレスチナ」をひも解く。 - PEN(01jun15)より
理解しやすいので抜粋。
「パレスチナ」は、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教という3つの宗教の聖地「エルサレム」を擁する。
明確な境界はないが、現代のイスラエルを中心に、シリア、レバノンなどにかかる一帯を指したという。
呼称は古く、紀元前13世紀から紀元前12世紀頃にこの地に来たといわれるペリシテ人の地を意味する。
紀元前5世紀にヘロドトス人が書いた「歴史」では、フェニキア人がシリア海岸沿いに移り、その地をパレスチナと呼ぶと記された。
パレスチナと3つの宗教の関係は、聖書の「創世記」に端を発する。
神はアブラハムと子孫にカナンの地を与え、子孫の繁栄を約束した。
このカナンという場所がパレスチナに相当。
紀元前997年頃にダビデ王が掌握し、イスラエル国家が誕生した。
次のソロモン王は十戒の石板を納めた「契約の箱」を安置する神殿を建造(第一神殿)。
しかし新バビロニアが神殿を破壊、再建を果たすも(第2神殿)、今度はローマ軍が破壊。
132年、第2次ユダヤ戦争に破れ、ユダヤ人はエルサレムへの出入りを禁止された。
ここからユダヤ民族の離散(ディアスポラ)が始まる。
次にキリスト教においては、
パレスチナはイエスが生まれ、布教を始めた場所であった。
特にエルサレムはイエス・キリストの死と復活の場所として重要な聖地と位置付けられた。
パレスチナはローマ帝国、ついでビザンツ帝国が支配。
638年、エルサレムがイスラムの勢力下におかれた。
予言者ムハンマドが昇天の際に足跡を残したという聖岩を囲む「岩のドーム」をユダヤ教の神殿の跡に建設。
聖岩はアブラハムの「イサクの犠牲」の場となったモリヤの岩と同じとされた。
この頃は、他宗教も認められキリスト教徒、アルメニア人、ユダヤ人も居住区をつくった。
しかし、1099年に十字軍が占領。
キリスト教徒も含め住人は虐殺される。
12世紀からは、アイユーブ朝、マムルーク朝、オスマン朝とイスラム教徒の統治が続いた。
だが、このお間、ユダヤ教やキリスト教徒も暮らしていた。
19世紀に入ると反ユダヤ主義が台頭、ロシアでユダヤ人が大量虐殺された(ポグロム)。
これを機に、ユダヤ人は故地シオンの丘に帰還して国家を再建するべきだとういシオニズム運動が起こる。
シオンとは、神殿の丘でありエルサレムであった。
のちの混乱の火種となった、イギリスの三枚舌外交。
1914年、第一次世界大戦が勃発。
この大戦中のイギリスの外交政策が、混乱の火種となる。
まずイギリスはメッカのシャリフにオスマン帝国と戦えばアラブ独立国家を樹立すると約束(フセイン=マクホン協定)。
次にフランスと、オスマン帝国領の地域を戦後、英仏で分割すると取り決めを交わし、3つめにユダヤ人のナショナルホームの設立を表明(バルフォア宣言)。
これが「三枚舌外交」である。
オスマン帝国の敗北後、1920年にパレスチナはイギリスの委任統治下に。
ユダヤ人移民に、多数派のアラブの住人が反発した。
第二次大戦中、ナチス・ドイツによるホロコーストで約600万人ものユダヤ人が虐殺される。
47年国連はパレスチナ分割決議を採択。
48年イスラエルが建国されるが、周辺アラブ諸国との紛争が勃発、アラブ側の難民が生じた。
エルサレムは分断され、ヨルダンと新国家イスラエルの二国の支配下に。
67年の第三次中東戦争でイスラエルはエルサレムを併合する。
その後、93年にイスラエルとパレスチナ解放機構(PLO)はオスロで相互承認を行い、ガザと西岸地区でパレスチナ人の自治が実現する。
しかし双方の緊張関係は続き和平交渉は中断された。
2002年、イスラエルはテロから自衛を名目に分離壁の建設を始める。
11年にパレスチナは国連加盟を申請。
翌年国連でパレスチナをオブザーバー国家とする決議が通り、国連では国家とされることとなった。
混迷するパレスチナ問題 - それはこの地が3宗教とひもづき、戦争や政治に翻弄されたためである。簡単に解決できない背景を認識しよう。そこに生きる人々の、生活と歴史をふまえた視座が求められている。
「パレスチナ」は、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教という3つの宗教の聖地「エルサレム」を擁する。
明確な境界はないが、現代のイスラエルを中心に、シリア、レバノンなどにかかる一帯を指したという。
呼称は古く、紀元前13世紀から紀元前12世紀頃にこの地に来たといわれるペリシテ人の地を意味する。
紀元前5世紀にヘロドトス人が書いた「歴史」では、フェニキア人がシリア海岸沿いに移り、その地をパレスチナと呼ぶと記された。
パレスチナと3つの宗教の関係は、聖書の「創世記」に端を発する。
神はアブラハムと子孫にカナンの地を与え、子孫の繁栄を約束した。
このカナンという場所がパレスチナに相当。
紀元前997年頃にダビデ王が掌握し、イスラエル国家が誕生した。
次のソロモン王は十戒の石板を納めた「契約の箱」を安置する神殿を建造(第一神殿)。
しかし新バビロニアが神殿を破壊、再建を果たすも(第2神殿)、今度はローマ軍が破壊。
132年、第2次ユダヤ戦争に破れ、ユダヤ人はエルサレムへの出入りを禁止された。
ここからユダヤ民族の離散(ディアスポラ)が始まる。
次にキリスト教においては、
パレスチナはイエスが生まれ、布教を始めた場所であった。
特にエルサレムはイエス・キリストの死と復活の場所として重要な聖地と位置付けられた。
パレスチナはローマ帝国、ついでビザンツ帝国が支配。
638年、エルサレムがイスラムの勢力下におかれた。
予言者ムハンマドが昇天の際に足跡を残したという聖岩を囲む「岩のドーム」をユダヤ教の神殿の跡に建設。
聖岩はアブラハムの「イサクの犠牲」の場となったモリヤの岩と同じとされた。
この頃は、他宗教も認められキリスト教徒、アルメニア人、ユダヤ人も居住区をつくった。
しかし、1099年に十字軍が占領。
キリスト教徒も含め住人は虐殺される。
12世紀からは、アイユーブ朝、マムルーク朝、オスマン朝とイスラム教徒の統治が続いた。
だが、このお間、ユダヤ教やキリスト教徒も暮らしていた。
19世紀に入ると反ユダヤ主義が台頭、ロシアでユダヤ人が大量虐殺された(ポグロム)。
これを機に、ユダヤ人は故地シオンの丘に帰還して国家を再建するべきだとういシオニズム運動が起こる。
シオンとは、神殿の丘でありエルサレムであった。
のちの混乱の火種となった、イギリスの三枚舌外交。
1914年、第一次世界大戦が勃発。
この大戦中のイギリスの外交政策が、混乱の火種となる。
まずイギリスはメッカのシャリフにオスマン帝国と戦えばアラブ独立国家を樹立すると約束(フセイン=マクホン協定)。
次にフランスと、オスマン帝国領の地域を戦後、英仏で分割すると取り決めを交わし、3つめにユダヤ人のナショナルホームの設立を表明(バルフォア宣言)。
これが「三枚舌外交」である。
オスマン帝国の敗北後、1920年にパレスチナはイギリスの委任統治下に。
ユダヤ人移民に、多数派のアラブの住人が反発した。
第二次大戦中、ナチス・ドイツによるホロコーストで約600万人ものユダヤ人が虐殺される。
47年国連はパレスチナ分割決議を採択。
48年イスラエルが建国されるが、周辺アラブ諸国との紛争が勃発、アラブ側の難民が生じた。
エルサレムは分断され、ヨルダンと新国家イスラエルの二国の支配下に。
67年の第三次中東戦争でイスラエルはエルサレムを併合する。
その後、93年にイスラエルとパレスチナ解放機構(PLO)はオスロで相互承認を行い、ガザと西岸地区でパレスチナ人の自治が実現する。
しかし双方の緊張関係は続き和平交渉は中断された。
2002年、イスラエルはテロから自衛を名目に分離壁の建設を始める。
11年にパレスチナは国連加盟を申請。
翌年国連でパレスチナをオブザーバー国家とする決議が通り、国連では国家とされることとなった。
混迷するパレスチナ問題 - それはこの地が3宗教とひもづき、戦争や政治に翻弄されたためである。簡単に解決できない背景を認識しよう。そこに生きる人々の、生活と歴史をふまえた視座が求められている。
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