2017年4月17日月曜日

投稿日 2017年4月17日月曜日

読みかじり - 神は妄想である―宗教との決別 単行本 – 2007/5/25 リチャード・ドーキンス

分厚い本で、最後まで読めず。。。

P64

世俗主義によって建国された米国が、いまやキリスト教圏におけるもっとも宗教的な国家であるのに対して、立憲君主を首長にいただく国教会をもつ英国がもっとも宗教的でない国の一つであるというパラドックスは、これまでも指摘されてきたところだ。
それはなぜか、といつも尋ねられるがよくわからない。
思うに、、プロテスタントとカトリックが交互に主導権を握り、組織的に相手方を大量に殺すという、宗教間の暴力の戦慄すべき歴史が繰り返された後、宗教にうんざりしてしまったということはあるかもしれない。
もう一つの説としては、
アメリカが移民の国だという考察に由来するものがある。
同僚の一人が私に、ヨーロッパに見られる大規模な、いわゆる「拡大家族」の安定と安楽から切り離された移民たちは、教会を異境の地における一種の代理親族として受け入れたのではないかと指摘してくれた。
面白いアイディアでさらに研究してみる価値がある。
多くのアメリカ人が自分の地域の教会を自分のよりどころを与えるまとまりとしてみなしているのは疑いがなく、実際に教会は拡大家族と呼ぶにふさわしい属性をいくつももっているのである。

しかし、もう一つ、アメリカ人の宗教性は逆説的なことに、その憲法の世俗主義に由来するという仮説がある。
厳密には、アメリカは法的に世俗主義であり、宗教は自由企業になっている。ライバル宗教は信徒ーことに彼らがもたらすたっぷり超えた十分の一税ーをめぐって競い合い、この競争は、市場における攻撃的で強引な売り込みのありとあらゆる手管をもっておこなわれる。。。。。

p141

19世紀以来、
学術的な神学研究者たちは、
「福音書は現実世界の歴史で起こったことについての信頼できる記述ではない」という決定的な論証をおこなってきた。
すべてはイエスが死んでからずっと後になって書かれたものであり、
パウロの手紙よりも後であるが、
この手紙には、、イエスの生涯にあったとされている事実のほとんど何ひとつとして触れられていない。
すべてはその後に、多数の異なる「伝言ゲーム世代」を通じて、いずれにせよ自らの宗教的大儀を持ち、誤りを犯しがちな筆写者たちによって、何度となく繰り返し書き写されてきたものである。
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神は妄想である―宗教との決別 単行本 – 2007/5/25

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