2017年4月4日火曜日

投稿日 2017年4月4日火曜日

読みかじり - 東洋哲学 最初に「悟り」あり。テーマは「我」。論理よりも体験を重んじる哲学 - プレジデント(05DEC17)

P30より抜粋

ー 東洋哲学と西洋哲学の違いって何ですか?


大きく異なるのは、真理に対する前提ですね。

誰もが無知で、真理を分かっていないと考えるのが西洋哲学。

そこで「これが真理なのでは?」「いや違うだろう」と議論を重ねて、先人の主張を壊し、また組み立て、何千年かけてバージョンアップさせていく。究極の真理に近づくため、意見を積み重ねる(階段型)と言っていいでしょう。


対して、東洋哲学は、

最初から「はーい。私、真理が全部わかっちゃいました~」という人が現れます。

ー いきなりゴールに到達!

彼らが悟った真理は絶対で、それ以上はありません。
でも、開祖が亡くなると、「あの発言はこんな意味だったのでは?」とやはり議論が始まり、多様な解釈が広がっていく。

東洋哲学は開祖を頂点にした「ピラミッド型」なんです。


またテーマも異なります。

「世界の根源は何か」
「世界を客観的に正しく認識するにはどうすればいいか」

と、西洋哲学は関心が外側に向かう。

でも東洋哲学では世界はどうでもよくて、関心が向かうのは人間の内側。
自己探求であり、「私って何だろう」なんです。

●西洋は真理を「知る」「理解する」のですが、東洋は「悟る」。

「悟る」は、知識として知っただけではダメ。
体験が必要なんです。
滝に打たれるなり苦行するなり、強烈な体験をして「わかったぞー!」というリアルな実感があって、本当にわかったと認められる。

でも論理は人に伝達できても、体験は伝達できないから、絶望的な戦いなんです。

開祖が屋根に屋根に上って、この世で誰も見たことのない景色を見たのだとしたら、信徒たちはその屋根に上るしかない。

その景色を見る体験が重要であって、上る手段はハシゴだろうが階段だろうが、何だっていい。

そこで後世の弟子が創意工夫して編み出したのが、体験的な理解を発生させるための手段、いわゆる「方便」です。

「念仏」「坐禅」「瞑想」だったり、時には「なぞなぞに答えなさい」だったり。

なぞなぞは禅の公案のことで、別に開祖はなぞなぞのナの字も示してはいない。

そした方便の違いが宗派の違いになって枝分かれしていきます。

一方、西洋哲学は体験を必用としません。真理を知ったという人は、言葉と理屈を尽くして説明できればOK。

結果、

西洋哲学は偉い学者の集まりに、東洋哲学は宗教に転じやすい。

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・日本人の思考ベースになっている仏教と儒教が日本に伝わるまでの概略。。。。


まず、東洋哲学の機嫌から。

紀元前800年ころ、今のイランにいたアーリア人がインドを侵略し、「祭祀、王族、庶民、奴隷」という階級制度を作りだします。

当然、自分たちは祭司になるんですけど、偉い人は大体ヒマなので、小難しいことを思索しだしたのが、東洋哲学の始まりと言われています。

そして、アーリア人は「究極の真理に到達できるのは偉大な祭司だけ」とうい物語を後付でつくって、国を支配していました。

しかし、ヤージュニャヴァルキヤという哲人が、階級制度なんて嘘っぱちだと見抜いたことで、祭司以外の人も「究極の真理に到達したい!」と自己探求を始めます。
それが、インドを席巻する大ブームになり、そこに乗っかったのが、仏教の開祖・釈迦です。

釈迦はゼロの状態からオリジナルで全てを悟ったわけではなく、出家した後で悟りの境地にたどりつきます。

そして、仏教の基礎となる教義・四諦と八正道を悟りました。

釈迦のカリスマ性によって、仏教はバラモン教をしのぐインド最大の宗教に発展していくのですが、やがて釈迦も食あたりで80歳で死にます。


さきほどのように、

開祖を失った組織は、解釈をめぐって次第にギスギスしてきます。

そして、釈迦の死後100年、今でいうところの、大乗仏教と小乗仏教に分裂しました。

大衆に向けて戒律を緩くした大乗仏教は成功を収めますが、そのせいで新興宗教になりかけます。

そこに現れたのが、釈迦の哲学を理解し、さらに発展させてしまう天才・龍樹。

彼は釈迦の縁起という哲学に注目し、それを600巻以上の経典・般若経としてまとめました。
さらに262文字に凝縮した経典が「般若心経」ですね。


しかし、宗教も栄枯盛衰。やがて個性的な神さまと呪術的な儀式によって、大衆の心をがっちりつかんだヒンドゥー教にインド仏教は駆逐されていきます。

さらにインドに侵入したイスラム教徒が寺院を破壊しまくって、インドの仏教は絶えます。

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時計の針を戻すと、仏教は東へ伝播して、中国へも渡っていきます。

でも、仏教と中国の相性はよくなかった。

現世利益を好む中国人にとっては、人生を儚む仏教の考えは「はあ?何言ってるの?」ですから。

当時、中国の思考基準になっていたのは、儒教です。

紀元前500年頃、仕官を目指していた孔子が「仁と礼を大事にしなさい」と主張していたのが、始まり。(思いやりを持って、礼儀正しく生きましょう)

この教えは孔子が不遇のまま死んだ後、弟子たちによって喧伝され、やがて儒教へ発展していきます。儒教は「人生は楽しいもの」というスタンスですから、「人生は苦」を提唱する仏教とは相容れなかった。



ただ、中国には老子という先人がいたのです。

老子の哲学の根本は「道タオ」というもので、「捨てなさい」「損をしなさい」など、現世利益とは全く逆の志向です。
釈迦の教えに似ているから、「老子は晩年インドに渡って、釈迦と改名した」説もあるぐらいで?

それで、老子の哲学を学んだ道家という学派によって、仏教の研究は引き継がれていきました。

さらに、老子の死後から200年経つと、老子以上に老子の哲学を分かりやすく説く後継者・荘子が現れます。

この「老荘思想」をベースに仏教を解釈すると、2つは似通っているから非常に腑に落ちるんです。

やがて中国仏教は禅が誕生し、さらに東へと伝播し、朝鮮半島、そして538年、百済王の王から仏像と経典が伝わり、日本の仏教が始まったのです。

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