P179
終章より
多民族国家として共通の過去を持たないアメリカは、自然発生的に形成された社会ではなく、目的意識によって形成された人工的な社会である。
したがって、当事者であるアメリカ人にとっても、どの範囲までを「アメリカ的」とみなし、どの範囲から「非アメリカ的」であると定義するのか、その線引きは不明瞭なのである。
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建国初期の頃のアメリカ人にとっての「我々」とは、「白人のアングロサクソン系プロテスタント信徒」がその範囲だった。
そして、「我々アメリカ人」を統合する宗教的価値は、キリスト教プロテスタント教会とほとんど同義であった。
そのアメリカに1800年代中頃、アイルランドやイタリアからカトリック系移民が流入してくると、プロテスタント信徒は自分たちが「真のアメリカ人」(native american)であると主張して彼らを排除したのである。
p180
そもそもユダヤ系を中心にした移民の手にうよって発展を遂げたハリウッド映画産業は、容易に「非アメリカ人」の産業として攻撃される危険性を持っていた。
p182
キリスト教福音派の人々にとって、重要な聖書の教えのひとつがイエスの「大宣教命令」の言葉である。
「私は天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなた方は行って、すべての民を私の弟子にしなさい。彼らに父と子と精霊の名によって洗礼を受け、あなたがたに命じておいたことを全て守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」(マタイ28:18-20)
そのことを実現するために圧倒的な資金力をもとにして、自分たちの宗教的価値観に基づく映画を作るようになったのである。
p183
「非アメリカ人」でる移民によって発展を遂げたハリウッド映画界は、彼らが真のアメリカ人としてアメリカ社会に受け入れられるため、そして興行収入がなければ成立しない映画としう産業の
性質上、キリスト教的価値観に基づく映画の製作を求められてきたのである。
また、そのように「手段」としてキリスト教的価値感が織り込まれてきた映画であったが、やがてキリスト教福音派の出現に伴い、次第にその「手段」が「目的」へと変容を遂げていった。
ここで注意をしなければならないのは、アメリカ独自のキリスト教的価値観の影響を強く受けた映画を、これまで日本の観客も無批判に受けいれてきたという点である。
2050年以内に終末が訪れることを、5人中2人が信じている国で作られた映画を、我々は単なる娯楽として消費し続けてきたのである。
その善し悪しは別にして、日本の観客が無自覚にアメリカ映画的価値観と同調し、アメリカ映画によって繰り返えし提示される善悪二元論や終末観、そしてアメリカンヒーローに代表されるメシア観を取り込んでいる可能性は否定できない。
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