2015年8月17日月曜日
投稿日 2015年8月17日月曜日
更新日
福岡伸一
p69
勉強すれば「思い込み」から自由になれる。
人間が勉強しなきゃいけないのは「自由になるため」だと思います。
私が言う自由はありのままの自分でいられることみたいな意味です。
自分の脳の癖が作り出す「思い込み」から抜け出すことなのです。
茂木健一郎
p196
知恵を得る以上に価値のあることは存在しない。
勉強の目的とは自分自身がより「いい人」になるということです。
P199
心理学者のミハイ・チクセントミハイの「フロー理論」
成功してお金持ちになるという目標を立てている人が、その目標を達成したら幸せになるかといったらそうでもない。そのプロセスにしか幸せは無い。
勉強も同じで、今まで分からなかったことが分かるようになるとか、できなかったことができるようになるというプロセス自体が喜びとなる。
その「フロー」の感覚を子どもに身につけさせることが一番大事です。
そのサイクルができれば、子どもは勝手に勉強します。
すべての子どもたちの中に「学ぶ本能」が存在していると思います。
問題は周りの大人がそれを引き出してあげれるかということ。
もしくは「学ぶ本能」の邪魔をするものは何かということ。
勉強はそれぞれの子どものペースでやればいいことなのに、強制されるからいやになるわけです。
周りの友達と同じペースで勉強するとか、友達と成績を比較するとかいうことは勉強のポイントではありません。
「自分のペースで学んでいけばいいんだよ」ということを伝えることができれば、どんな子どもでも学ぶ意欲が刺激されて自ら「ページ」をめくり始めると思います。
養老孟司
p211
昔は「生きていかなきゃいけない」ということを「親孝行」という概念に集約していました。
極端に言えば、昔は親のために生きていたのです。
p218
子どもが訳のわからない質問をするときこそ何かのサイン。親はその奥にあるものに目を向けてあげなければいけません。
p220
子どもには好きなことを本気でやれせればいい。そうすれば、すべての学問が必要は自然にわかって結局全部の勉強をするようになりますよ。
すべての学問はもともとつながっているのです。
でも考えなきゃいけないことが多すぎて、一人で全分野をやるにはやりきれないから学問の分業が始まり、「専門分野」というのができた。それが学校での「教科」という概念につながります。各教科をばらばらに教えるから勉強の全体像がつかめない。
それぞれの知識がどういうときに必要になるかが子どもにはわからない。
だから「なぜ勉強しなくちゃいけないの?」なんて疑問が口を突く。
あとがき
日本で「教育」という言葉が使用され始めたのは明治時代以降です。英語のeducationに対する訳語として発明されました。しかし、のちに福沢諭吉は教育という言葉は妥当ではない、発育と称すするべきと言っている。
もともとeducationの語源はラテン語のdocere(引き出す)であるという説があります。子どもにインプットするのではなく、アプトプットさせるように仕向けるという意味です。
読みかじり - 子どもはなぜ勉強しなくちゃいけないのか?単行本 – 2013/6/20 おおたとしまさ (著)
福岡伸一
p69
勉強すれば「思い込み」から自由になれる。
人間が勉強しなきゃいけないのは「自由になるため」だと思います。
私が言う自由はありのままの自分でいられることみたいな意味です。
自分の脳の癖が作り出す「思い込み」から抜け出すことなのです。
茂木健一郎
p196
知恵を得る以上に価値のあることは存在しない。
勉強の目的とは自分自身がより「いい人」になるということです。
P199
心理学者のミハイ・チクセントミハイの「フロー理論」
成功してお金持ちになるという目標を立てている人が、その目標を達成したら幸せになるかといったらそうでもない。そのプロセスにしか幸せは無い。
勉強も同じで、今まで分からなかったことが分かるようになるとか、できなかったことができるようになるというプロセス自体が喜びとなる。
その「フロー」の感覚を子どもに身につけさせることが一番大事です。
そのサイクルができれば、子どもは勝手に勉強します。
すべての子どもたちの中に「学ぶ本能」が存在していると思います。
問題は周りの大人がそれを引き出してあげれるかということ。
もしくは「学ぶ本能」の邪魔をするものは何かということ。
勉強はそれぞれの子どものペースでやればいいことなのに、強制されるからいやになるわけです。
周りの友達と同じペースで勉強するとか、友達と成績を比較するとかいうことは勉強のポイントではありません。
「自分のペースで学んでいけばいいんだよ」ということを伝えることができれば、どんな子どもでも学ぶ意欲が刺激されて自ら「ページ」をめくり始めると思います。
養老孟司
p211
昔は「生きていかなきゃいけない」ということを「親孝行」という概念に集約していました。
極端に言えば、昔は親のために生きていたのです。
p218
子どもが訳のわからない質問をするときこそ何かのサイン。親はその奥にあるものに目を向けてあげなければいけません。
p220
子どもには好きなことを本気でやれせればいい。そうすれば、すべての学問が必要は自然にわかって結局全部の勉強をするようになりますよ。
すべての学問はもともとつながっているのです。
でも考えなきゃいけないことが多すぎて、一人で全分野をやるにはやりきれないから学問の分業が始まり、「専門分野」というのができた。それが学校での「教科」という概念につながります。各教科をばらばらに教えるから勉強の全体像がつかめない。
それぞれの知識がどういうときに必要になるかが子どもにはわからない。
だから「なぜ勉強しなくちゃいけないの?」なんて疑問が口を突く。
あとがき
日本で「教育」という言葉が使用され始めたのは明治時代以降です。英語のeducationに対する訳語として発明されました。しかし、のちに福沢諭吉は教育という言葉は妥当ではない、発育と称すするべきと言っている。
もともとeducationの語源はラテン語のdocere(引き出す)であるという説があります。子どもにインプットするのではなく、アプトプットさせるように仕向けるという意味です。
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