雑誌より抜粋です。
・2014年は第一次世界大戦が始って100年。戦場になったヨーロッパの人たちにとっては身近な歴史。
・第一次世界大戦で多大な被害を出してしまったのに、なぜ第二次世界大戦を防ぐことができなかったのか。これが欧米の政治家の教訓となっています。
・第一次世界大戦の戦後処理が誤りで、今に至る中東問題の火種を生み出した。
「イスラム国」伸長のうらにあるものは?
・イスラム国はそもそもイラク国内の極小過激派組織だったが、「アラブの春」で隣国シリアの内戦に参戦、反政府軍を攻撃して武器や資金を獲得、イラクに凱旋。イラクの中央銀行の支店を襲撃して多額のドル資金を入手。
・シリアからイラクにかけて「国家」樹立宣言し、「サイクス・ピコ体制を打破した」と叫ぶ。
・サイクス・ピコ - 第一次世界大戦中、オスマン帝国と戦争をしていたイギリス、フランス、ロシアは、戦後、、オスマン帝国の領土を山分けしようと密約。これがサイクス・ピコ協定。
密約を結んだ翌年、ロシアで社会主義革命が起き、革命政権が密約を暴露し、山分け話が知られた。密約通りにはならないものの、現在のイラクとクウェートはイギリス、シリアとレバノンはフランスの支配圏に入った。
イラクとシリアの人たちにとっては、海外の列強によって自分たちの土地が勝手に分断されるという屈辱の歴史があった。
この体制を初めて打ち破ってくれたのが、「イスラム国」だった。
「サイクス・ピコ体制の打破」というスローガンはアラブの人たちの心を打った。
「イスラム国」はさらに歴史に学び、オスマン帝国がなぜ長期に渡って広大な領土を維持できたかを分析。
オスマン帝国はトルコ人のオスマン朝による支配でしたが、トルコ人だけの帝国ではなかった。
帝国の周辺部ではさまざまな民族の自治を容認した。
イスラムの国でしたが、同じ神を信仰するユダヤ人とキリスト教徒については、人頭税を払えば信仰を認め、改宗を迫らなかった。
こうした緩やかな統治が長続きの秘訣だった。
イギリスの「三枚舌」
イスラエルとパレスチナの紛争にも、第一次世界大戦の戦後処理失敗が影を落としている。
大戦中、イギリスは、オスマン帝国領内でアラブ人の反乱を策謀し、前後はアラブ人の独立国家を認めると約束。
その一方で、戦費を獲得するため、金融業に携わるユダヤ人には、ユダヤの「ナショナル・ホーム」建設を支援すると約束。
その結果、中東にアラブ国家とユダヤ国家建設の動きが活発化。第二次大戦後、中東戦争が始まる原因を作ってしまった。
0 件のコメント:
コメントを投稿