2016年4月12日火曜日

投稿日 2016年4月12日火曜日

読みかじり - 地政学は世界史から学べ - ダイヤモンド(13feb16)

P38

●15C~18C 銀山の発見で価格革命をおこした 大航海時代

・15世紀半ばからの大航海時代、ポルトガルやスペインが命がけで遠洋航海に乗り出した理由は、ヴェネチア商人による地中海貿易の独占でした。
ポルトガルやスペインは、香辛料を求めてアジアとの直接貿易を目指した。

・南に進路を取ったポルトガルはアフリカの国々を植民地化します。
さらに喜望峰を回ってインドに到達し、マラッカ海峡、インドネシアの島々を占領し、日本にたどりついた。

・当時の日本はアメリカ大陸に次ぐ世界第2位の銀産出エリアだった。
しかし、時は戦国時代でポルトガルは日本制服を諦め、おとなしく鉄砲を輸出して銀を受けることにした。
これが日本史で勉強する「鉄砲の伝来」。

・一方、西に進路を取ったのがスペインです。
女王の命を受けたコロンブスは1492年にアメリカ大陸を発見。
アステカ、インカの先住民に、鉄砲で圧勝したスペインは南北アメリカ大陸を植民地化。
南米で世界最大のポトシ銀山を発見し、奴隷化した先住民に採掘させた。




その結果、銀は欧州に流れ込み、価格革命と呼ばれるインフレを引き起こし、銀を手にしたスペインは銀が枯渇するまで繁栄。

次に台頭したのが、スペインから独立したオランダ。

オランダは商業国家として独立したため、同じ商業国家にポルトガルと対立したため、オランダ東インド会社を設立。
(実査には傭兵を組織し、植民地での徴税権が認められた特殊な会社)

この会社が武力によってポルトガルからアフリカや東南アジアの植民地を暴力的に奪い、日本にもやってきて貿易を求めた。

ところが、当時の江戸の人口はパリやロンドンより多く、識字率も高くて軍事力も欧米列強レベルで簡単に侵略できず。食料自給率、エネルギー自給率ともに100%の内需国だった。

むしろ貿易で日本から銀が流出するのを避けるため、徳川幕府は長崎1港に貿易を制限。これが鎖国。

オランダの覇権は約200年続きましたが、最後は英国に敗北。



●17C~19C 英国の発展を支えたイングランド銀行 - 大英国時代


ポルトガルやオランダが中継貿易で栄えた”商社”モデルなのに対し、自国で毛織物などを生産する”メーカー”、つまり工業国家でした。


英国内だけでは市場が狭いため、外に市場を求めて植民地を広げ、輸出の対価として金や銀を獲得する重商主義へ。

英国に遅れてフランスも重商主義による植民地政策を進めたが、英仏の植民地戦争には戦費の調達方法に優れた英国が圧勝。

フランスはタイユ税という直接税を課したため、人民が疲弊して、フランス革命の原因に。

一方、議会政治が確立していた英国は1694年に中央銀行であるイングランド銀行を創設、国債を引き受けさせ、企業家たちに低利で貸し付けを行わせた。

次に産業革命によって大量生産される綿製品を中国に輸出しようと画策。
当初、清朝は自由貿易を認めず、英国は茶や絹を清から輸入していて、国内の銀が清に流出。

ここで英国が悪名高き「三角貿易」を考えだし、

植民地のインドでアヘンを作らせ、清に密輸。アヘンの代金という形で銀が英国に吸い上げられるというシステムを構築。

清は抵抗し、アヘンを没収し、英国はこれを口実にアヘン戦争を仕掛けた。

戦争に破れた清は市場開放を余儀なくされ、銀が流出して長期のデフレ不況に苦しみ、農産物の下落で農民は困窮し、アヘン戦争が70年後に清朝が滅亡する遠因となる。


19世紀、銀の生産過剰で相対的に金(ゴールド)の価値が上昇。英国は貿易代金をゴールドで支払うように宣言。これが金本位制。


実際に金塊を船でロンドンまで運ぶのは面倒なので、各国の商社はロンドンに銀行口座を開設、貿易の決済は口座間取引で行うようになる。
この経緯でロンドンのシティが世界の金融センターと呼ばれるように。


19世紀後半に英国の工業力は衰退、金融立国の国として生き残りを図るが、1914年から始まった第一次世界大戦で衰退が決定的に。




●20C~ 2度の大戦で棚ぼた的に超大国に。 米国覇権時代



第一次対戦は工業力が勝敗を決する総力戦。

英国も多額の戦費を費やし、大戦が長引くにつれて財政が苦しくなり、武器も石油も輸入に頼らざるを得ず、金の流出を懸念した英国政府は、金とポンドの交換停止を宣言。(金本位制の停止)


ここで英国が米国に頼り、米国は中立国として各国に武器を輸出する「世界の工場」となり、軍需景気に沸く。


米国の大銀行は英国政府の戦時国債を引き受け、英国支援のためにウィルソン大統領は参戦。(英国が破れ、英国国債が紙くずになることを恐れたため)


武器等の貿易代金の多額のお金がニューヨークに流れ、世界の金融の中心はニューヨークのウォール街へと移り、米国は世界最大の債権国として君臨。


米国は第二次世界大戦を経て、更に強力に。

欧州の戦場から遠いという地政学的メリットのため、工場はフル稼働状態で武器を輸出。

2度の大戦で棚ぼた的に覇権国家の地位を得た。


大戦の惨禍を見た米国は

”各国が金本位制から脱し、貿易がストップしたから日本とドイツが暴走した。今こそ金本位制を復活し、関税を引き下げて貿易を自由化しよう”

とういことで、プレトンウッズ体制(金・米ドル本位制)が確立された。



金1オンス(約30グラム)を35ドルとして固定、米ドルと各国通貨との交換比率を固定(日本とは1ドル360円)。


戦後、日本や西ドイツが奇跡的な経済復興を遂げたのも、この体制下で円安、マルク安が固定され、輸出に有利だったからと言える。

その後、日独との価格戦争に破れた米国は、70年代に貿易赤字国に転落。

80年代には債務国になる。

米国は自由貿易体制を維持しつつ、自国の産業を守るため、金とドルとの交換を停止(71年のニクソンショック)、意図的にドル安誘導(85年のプラザ合意)を行う。







0 件のコメント:

コメントを投稿