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自らの才能は社会のために
私は鹿児島の田舎から出てきて、幸いにして事業で成功することができましたが、「アメリカの工場も含めた約4000名の従業員や、相当な株主のために、私が京セラの社長として存在する必然性は、はたしてあるのだろうか」と考えたことがあります。
私は、稲盛和夫という人間が京セラの社長である必然性はない、と思っています。
言葉が悪いかもしれませんが、世の中は、頭のいい人も悪い人も一定の確率で存在するから成り立つのであり、頭のいい人ばかりいても、頭の悪い人ばかりいても世の中は成り立たないでしょう。
神さまがつくった一定の比率で、頭のいい人も悪い人も両方存在するのが社会だと思うのです。
京セラという会社を経営するのは、何も私でなくても、別の方であってもいいのです。
つまり、神さまが経営の才能をもつ人間を無造作に決めたうちの一人が、偶然私だったというわけです。
その証拠に、私の両親は頭のいい事業家ではありません。逆に、立派な両親から立派な子供が育つわけでもありません。
世の中にそうした人々が一定の数だけ存在するように神さまがつくっただけであり、それが私自身である必要はないのです。
私の代わるべき人であれば誰でもよく、何も私個人が社長である必然性はないと思っています。
p56 JAL再生は稲盛氏をおいてほかにいなかった ー 冨山和彦氏寄稿
JALの再生に立ちふさがっていた3つの課題。
一つ目は、社内を牛耳るインテリ・テクノクラートの抑え込み。
航空業界はある種オペレーショナルなビジネスなのに、東大卒やMBA卒の中高年テクノクラートが山のようにいた。
二つ目は自律的な経営への転換である。
航空業界はつい最近まで許認可運賃の半官民的な産業であった。
それゆえ、自力で金を稼いで利益を上げ、将来に投資していくという、企業として当たり前の”経営のDNA”が欠落していた。
三つ目の課題は、人心の荒廃を避ける事。
リストラは一瞬の外科手術であり、弁護士なりその道の専門家で可能だが、その後は必ず内科的な治療が必要となる。運輸において人心の荒廃は事故を呼ぶため、注意が必要である。
製造業の経営者は経営の深度が一番深い
「自分たちの産業は特殊だから」という論理はどの産業でも出てくるが、業界知識や専門性は、今時の経営者にはさほど重要ではない。
経営を分かっていない素人の台詞である。
オペレーションが専門的で複雑という問題と、経営本来の仕事は次元が異なるものだ。
しかも、航空ビジネスは経営面から見れば非常に構造が単純であり、極端に言えば問題は稼働率だけである。
定期便を飛ばすと決めた瞬間から設備費、機材、人件費など固定費の塊になる。
経営はその固定費に対して、安全性を担保しつついかに稼働率を上げるかに尽きる。
例えば世界で最もトラフィックの多い路線である東京・福岡間を独占できれば、それだけで世界最強のエアラインとなれるのである。
JALのテクノクラートたちはネットワークの規模の重要性を強調していたが、規模は競争力と収益力の源泉になってこそ意味を持つ。
なぜユナイテッド航空やデルタ航空、アメリカン航空が倒産したのかを考えてみればよい。
重要なのは規模ではなく稼働率なのだ。
個々の路線、便ごとにいかに稼働率を上げるかについては、稲盛氏が考案した小集団単位で採算の最大化を目指すアメーバ経営がぴったりと当てはまる。
安全性の問題も同じだ。
安全性を真に担保するのは収益性にほかならない。
儲からなければ飛行機を更新できず経年機が増える
経年機を飛ばすには人件費が高いベテラン整備要員を大勢抱えなければならない。
それで本当に安全なのか
設備を更新し、より安全な新しい飛行機に切り替えるべきなのだ。