P36より
1916年5月16日、英国は中東分割案の密約「サイクス・ピコ協定」をフランス、ロシアとの間で交わした。
だが、
それと同時に英国は、イスラム教徒とユダヤ教徒それぞれにも中東での領土を約束した。
この英国の三枚舌外交が中東に戦火をまき散らし、現在にまで至る。
欧米がもたらした戦争
1915年、英国はオスマントルコ帝国が崩壊過程にあることを察知、さらなる内部崩壊をもくろみアラブ人に対してオスマン帝国への武装蜂起を呼びかけた。
その際の対価として、アラブ(イスラム教徒)側に、この地域の独立を約束した。
これがいわゆる「フサイン・マクマホン協定」である。
ところが、
膨大な戦費を必要としていた英国に融資していたのが、ユダヤ人富豪のロスチャイルドだった。
17年、英国はそのロスチャイルドにユダヤ人国家の建設を約束した。(バルフォア宣言)
結局、マネーを優先した英国は、アラブ人との約束を反故にした。
そして、ユダヤ人による入植が進めらた。
これにより、イスラエルが建国を宣言した48年以降、56年、67年、73年と4次にわたる中東戦争が勃発した。
69年、イスラエルに加担する西欧諸国への不満、また石油資源を搾取されていることに対する憤りから、リビアでカダフィ大佐による革命が起こった。
79年には、イランでもホメイニ師によるイスラム革命が勃発。
シリアではアサド大統領がイスラエルにゴラン高原を占領された恨みから、反イスラエル、反欧米を掲げ、強権化していった。
さらに80年からは、イラン・イラク戦争が勃発。
化学兵器で子供たちが死んでいくのを横目に、欧米諸国は武器を売りつけて戦争を長引かせた。