2014年11月20日木曜日

投稿日 2014年11月20日木曜日

読みかじり - エコノミスト(2014年8月19日)資本主義の限界と未来 記事より

雑誌からの引用です。

資本主義は中心と周辺で構成され、周辺を広げることで中心の先進国の利潤率を高め、資本の自己増殖を推進していくシステムだが、地理的、物的空間の周辺は残っていなく、利潤を上げる空間が無い。もう一つは利子率の低下。
資本を投じて拡大再生産し、利潤を得て、資本を自己増殖させることがもはやできなくなった。

株式会社の原点は、1602年商業国家のオランダで生まれた東インド会社にある。17世紀のオランダは、中世的な宗教の呪縛から解き放たれ、個の価値に目覚めた人間、つまりデモクラシーの原点を作った。
合衆国憲法修正第1条は「宗教の自由」で連邦共和制ともにDNAはオランダにある。我々は、資本主義社会を改善し、持ちこたえようとするのであれば、禁欲、努力、誠実が資本主義の原点にあったことを忘れてはいけない。


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p94
なぜキリスト教だけか?

資本主義と宗教と聞けば、マックス・ウェーバー。

市場経済を肯定したイエス

ユダヤ教のヘブライ語聖書(旧約聖書)を読むと、まずモーセの律法が、十分の一税(宗教税)を課している。初物など収穫物の10分の1をヤハウェに献げることを求めた。10分の9は自分で消費してよい。共産主義ではない。所有権を認め、奴隷制を認めた規定となっている。
次いで、サムエル記は、王を立てることに警告を発する。王は税を集め、若者を戦争に駆り立てるだろうというのがその理由だ。宗教税と王の税は別である。王の税は宗教法と無関係で正当性があいまいで恣意的に取り立てられる可能性があった。
その後、ダビデ、ソロモン王から外国の王たちへ、そしてローマ帝国に変わった。
福音書の伝えるイエスは「カエサルのものはカエサルへ、神のものは神へ」と言った。
この教えをキリスト教徒は宗教税とは別に世俗の税を払うのは自分たちに義務だと理解した。
イエスは市場経済と利潤と利子を肯定。

モーセの律法は同胞に利子をとって貸してはならないとする。コーランも同様。
ユダヤ教とイスラム教は、利子禁止である。
利潤は神に与えられる。

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